コンテンポラリーダンス振付への興味

アメリカでは、ダンス学科のある大学も多くあり、小中学校のダンス教育や舞台芸術としてのダンスも普及していて、ダンサー、振付家、舞台関係の人たちの仕事もそれなりに成り立っていた。

ニューヨーク州の文化芸術助成金も多く、公的助成金だけでなく、ロックフェラーなどの私的な文化芸術助成金も多かった。

ニューヨークシティではダンス アーチストとして、独自で創作して活動している人も多く、仕事としている人から趣味として活動している人まで様々。

メキシコやプエルトリコなど南米から来ている移民のアーチストもたくさんいて、とにかく色々な人が混在して成り立っているのはニューヨークらしかった。

そういう環境にいると、自分も独立して、個人として活動するのもいいかも。(インディペンデント アーチスト)と、個人でミュージシャンや映像作家とコラボしたりなどの活動も始めた。

NYのラバンインスティテュートでダンス振付の動きを学ぶ

リモンインスティチュートが終わると、ダンサーとしてどこかのカンパニーに属するというより、独自でダンス作品を発表したりし始め、次第に振付に興味が変わり始めた。

まだ、日本に帰りたくなかったし、ニューヨークにラバン センターと同じ系統のラバンインスティチュートがあり、興味があったので、問い合わせてみることにした。

ラバン インスティチュートは、ラバンセンターを始めたルドルフ ラバンの生徒の Irmgard Bartenieffという人が、設立した専門学校だ。

Irmgard Bartenieffはラバンの動作分析法をリハビリをする人のために役立てる研究をした女性でだった。そしてこのテクニックはアレキサンダーテクニックやフェルデンクライスなどの身体に関する身体学と同じように発展した。

ラバンの動作分析法は、簡単に言うと、何かの動きを、時間、空間、エネルギー、動作(アクション)のカテゴリーに分け、

動きはflow,(動きの質) time,(時間) direction、(方向性)weight(重さ)の4つの要素をエフォートグラフで書きあらわすというものだ。他にも色々な尺度で動きを分析するのだが、実はとても奥が深い。

人、動物、ものの動きというものを観察する面白さ

このインスティテュートの一年間コースに入った。週5日で午前中にあった。そのクラスには、NY私立大学のダンス学科のマスターの生徒や、小中学校でダンスを教えている先生、留学生もいた。

ラバンインスティテュートの同級生と
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自分が動くということも少しはあったが、動きを観察して分析するという作業が多く、退屈な時もあったが、あの時の観察してみんなで話し合ったりしたことが今のクラスの教えや振付にとても役立っている。

動物園に動物の動きを観察に行ったり、喫茶店で人の動きを観察したり、など面白かった。

この観察の時に自分の主観をできるだけなくしていくのポイントだった。見る人の好き、嫌いなどの感情も抜いて観察するだけである。

その中の課題で面白かったのが、ペアーになって相手の動きや話し方を分析して、何かに例えて相手にレポートしてあげるという課題だった。

相手の手の動かし方や話す速度などをラバンの動作分析法で分析して、何に例えられるかということをまとめる作業だ。

私は、アメリカ人の人に自分の動きを分析してもらったが、例えられたものが「巻かれて紐で結ばれている宝島の地図が書いてある紙」(何かを秘めている感じ)と言われた。面白いと思った。

この分析法を学んだおかげで、動きの見方の訓練ができ、自分の見方の癖もわかってとても勉強になった。

自分のやりたい創作につなげる

ラバンインスティテュートでの学びはとても勉強にはなったが、自分のやりたいコンテンポラリーダンスの振付けのための新しい動きを見つけること、創作することとは食い違っていた。

ラバンのその動作分析法にはとても興味があったが、その食い違いがとても気になるようになり、アメリカ国内の幾つかの大学院でそのような振付をしている先生がいるという話を聞き、大学院進学を考え始めた。

この時、もうすでに、お金も尽きていたので、親の支援を頼っていたが、また親に大学院進学の資金を頼むことになった。留学生は少し学費も高くなるし、あまり親に頼るのもと思って、いろいろ調べてみると、大学で仕事をしたりなど、奨学生制度もあるようだったので、それも合わせて調べ始めた。

まとめ

ラバンインスティテュートにいた時期はそんなに長くはなかったが、ここでも、同じコースのアメリカ人の人達の話しっぷりに圧倒されていた。

アメリカ人はイギリス人よりずっと話すのが早くて、はっきりと自己主張していく人たちだ。そんな刺激の多い中で、取り残されそうでとても大変だった。

1クラス10人弱のクラスで、先生方がとても親切だったので、いつもクラスの後に先生に質問してから帰るのが習慣だった。そのうちなんとかついていけるようになり、言葉はダメでも、クラス内容の理解度はそんなに悪くなかったようだ。

ここで、大学院に行くための英語力も養えたような気がする。