感情に任せて踊るのがコンテンポラリーダンス? その1

コンテンポラリーダンス
2018年2月21日、昭和女子大音楽室での「コンテンポラリーダンスの魅力」のレクチャーデモンストレーションで興味深い質問が、幾つかあった。このブログでは、2回に分けてその質問に答えるとともに、自分なりの経験も踏まえて書いてみたいと思う。
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質問1 コンテンポラリーダンスは、湧いてくる感情に任せて踊るダンスなのか?

フォーム(形)のあるバレエから発展した、コンテンポラリーダンスは、フォームを否定するものとして、思いのままに踊るというダンスなのか。
この質問について、賛否両論かもしれないが、思いのまま、感情に任せて踊るのは、コンテンポラリーダンスというより、即興ダンスといったほうがいいだろう。(モダンダンスの先駆者であるイサドラダンカンは、心のままに任せて踊るというイメージが強いが。)
というのも、コンテンポラリーダンスの著名な振付家たちは、それぞれに新しい身体の表現を見つけるために、他のダンスや媒体などと掛けあわせて、独自のダンスを見つけ、作品として発表してきた。それでは、一体何を掛け合わせたのかをみてみたい。

ピナバウシュのタンツテアター:ダンス×演劇×舞台装飾

 まず、ドイツの振付家ピナ、バウシュは、初期の作品「春の祭典」で舞台の上に、大量の土(舞台装飾)を乗せて、その上でダンサーを踊らせた。土にまみれながら踊ることで、ダンサーたちは、新たな動きや感覚を見出したであろう。
また、そのストーリー性のあるダンスは、ピナバウシュのダンスをタンツテアターと呼ばせるまでにした。

マッツエック:ダンス×独自に解釈したストーリー

また、演劇性の強いダンスを創作したスェーデンの振付家、マッツエックがいる。彼は、「眠れる森の美女」や「ジゼル」などの古典を風刺的に独自に解釈し作品にしている。

世間を風刺するようなその作風は、下の作品「アパルトマン」にも表れている。ビデを持って踊る住人や倦怠期のカップル、掃除機と格闘する主婦など、パリオペラ座の綺麗系のダンサーにはそぐわない演技と振付をするところは、彼独自の風刺を表している。

アクラムカーン:ダンス×カタック舞踊×語り

イギリスの振付家で現在活躍中の振付家アクラムカーンは、ダンスに彼の得意とするインドのカタック舞踊の動きを取り入れ、語りを入れることでストーリ性のある作品を作っている。下の作品「聖なる怪物たち」はパリオペラ座のダンサー、シルビーギエムと共演した時の作品だが、ギエムが語る部分が新鮮で面白い。

 まとめ

このほかにも今話題のイスラエルの振付家オッハドナハリンは、ダンスの経験のないダンサーを起用し、社会的な問題を作品に反映したりなど革新的な試みをしている。このように、コンテンポラリーダンスの振付家はそれぞれ、何かとダンスを掛け合わせたり、ダンサーの動きを否定したりなど様々な試みをしおり、感情のままにダンスを作る、踊るというのではないことがわかる。

次回は、私自身の体験からこのことを書いてみようと思う。

 

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